シンガーソングライター育成

私も未だ発展途上です。

やっぱり人でしょ。

レッスンに訪れる方々はここ数年増えました。生徒さんも、心の優しい方々ばかりで凄く助かっています。音楽を通して皆さんと日々過ごしているのですが、素直で真剣に取り組んでいる人は伸び率が高く、目標を1つづつ確実に達成しています。人間のする作業ですから、飽きっぽく適当な考えでは上達する訳もなく、レッスンも続かないのが現状です。興味のあることだけやりたいとか、学校に通えば誰でもその道スペシャリストになれると思う方々もいらっしゃることでしょう。
しかし、プロだろうが趣味だろうが上達する努力なしでは達成できないものなのです。つまり、その人の考え方が大きく左右するということですよね。
人を思いやれない人が書いた応援ソングは心に響くのでしょうか?
教える側も真剣に考えています。遊びも一生懸命です。 何を持ってその道のプロと言うのか?皆さんと今一度考えてみようではありませんか。 アナログ時代を大切に

たくさんのアーティストと共に生きてきました。

音楽制作を生業にしています。 昔、レコードを出すのに、シングル盤プレスのみ500枚で50万だった記憶があります。本当に高値の花でした。
私は17歳で初めて多重録音(今で言うMTRではありません)を始めました。 高校の卒業文にレコード会社の社長と書いた記憶があります。
当時は機材も高かったですし、全てアナログでしたから個々のスキルも必要でした。
20代からTVの業務で音の仕事をしていたお陰で、録音の本当の意味を現場で学びました。PCを使用したDTMも24年やっています。苦労の連続でしたが、CMソングや番組タイトル曲、ドキュメンタリーなど多様なニーズに応えてきました。
自分で作った音を残すことは、自分の音楽の歴史を刻むことだと考えています。 作編曲、録音、ミックス、マスタリング、ジャケット制作、WEBページ、配信全て一人で行っておりますので、余計な打ち合わせが要りません(笑)。 現在もアルバムの編曲に日々悩みながら、より良い作品になるよう取り組んでいます。

Music-Craft  中里基

私の履歴書

生まれ
空知管内の教員の家に生まれる
幼少期
父親の転勤の為に空知管内を転々とする。電気機器をいたずら、物を叩いてリズムを刻む。
小・中学生時代
小学3年生から和太鼓・ギターを始め、中学時代は三年間ブラスバンド部。弾き語りも板について先生に教えてくれと頼まれる。
高校生時代
放送部、バンド活動に明け暮れ、放課後は喫茶店通いジャズに没頭、毎日が音楽三昧。この頃作曲を試しみる。
専門学校時代
午前の座学は殆ど出席せず、午後の実習から登校。実際にOAしていた、ラジオ番組制作の実習の為だけに学校に行っていた模様。作曲の授業があり、100点を貰う。
TV局時代
初めての仕事場が報道部。消防・警察並みの勤務体制(笑)厳しい仕事だったが、先輩・上司に恵まれ毎日が楽しかった。地方出張の際、先輩が私の進路を心配し、他社を紹介してくれた。
TV局時代2
他局の子会社に職場を変えた。コチラは半分サラリーマン感覚。他人に干渉せず、自己責任。職場の環境の変化について行けず、この仕事で良いのか真剣に悩む。そんな時に選曲効果という仕事を始めた人と出会う。自分がロケに行っている番組のタイトル曲を会社に内緒で頼まれる。思った以上に好評で、尚且つ1ヶ月の給料分のギャラを頂き技術の仕事を辞めることを決意する。
不毛な時代
局の仕事を辞め、アルバイトしながら作曲活動。半年間粘ったが、生活の為にブライダルのビデオ制作会社に就職する。1年後、ロケから帰った事務所に電話が来る。以前タイトル曲を依頼してきた人からだった。今度はドキュメンタリーだったが、その日のうちに完成させ、驚かせる。
TV局時代3
局の仕事を辞めて2年後。選曲効果の会社に引き取られ。番組・CMの音楽制作で毎日音楽と向き合う。
すすきの時代
選曲効果の会社と平行して、ススキノの録音スタジオのエンジニアとなる。ここでも毎日音楽と向き合いCMソング制作やバンドの録音を行い、たくさんのミュージシャンと出会う。
すすきの低迷時代に突入と同時に、以前の会社が建て直しを図り、再度引き取られる。
このあたりから、DAWでの録音が本格化する。
フリー時代
さらに景気の低迷で事業部縮小の折、独立する。気の合う先輩数人とインディーズのレーベルを立ち上げるが心労も多く、解散。そんな時、ススキノ時代に知り合った凄腕ギタリストから電話が来る。内容は音楽学校で新設される科の講師。しばらく会っていなかったので遊びに行くと、印鑑持ってきたかと聞かれ、その場で契約。講師となる。 8年勤めた後辞めた後、現在の音楽教室を生徒1人から始める。
さらに、、、。
たまに友人からの制作発注と少人数の生徒の為に収入が安定せず、チラシを手刷りで5000枚撒くが、来た生徒は1人(笑)WEBページを独学で開設、問い合わせが多少増えたが、このままでは駄目だと思いWEBの職業訓練を受ける
訓練最終日に学校関係者から講師にならないかと呼び止められ、訓練講師になる。

結果、音楽は義務教育以外習っていませんでしたが仕事になりました。
最近は忙しい毎日を送っております。